2009年11月28日

中傷を受けて【中傷内容表記】

中傷を受けて【中傷内容表記】2008-09-20 09:54:39
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10141487042.html

鶴林山地蔵院/説法
鶴林山地蔵院/説法 posted by (C)鳶眼

<ソース>鞆の浦から世界の津々浦々へ
http://blogs.yahoo.co.jp/himalayadesign/18204126.html
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<コメント:高木洋一郎さん>

中傷を読みましたが、架橋賛成派のような文章ですね。

世の中、権力のすごさをまざまざと見せ付けられることが多い毎日です。

話し合うことや、感情的ではなく討論する能力が日本人には決定的に欠けてると思います。大陸的に多民族国家ではなく、土着民族で自然・権力者には逆らわないことが安泰ということを骨の髄まで認識してるんだろと思ってます。

人と人を結ぶ「道」であるはずだけども、話し合うことすらできない現状では、さらに距離を遠くして溝を作る道になると思いました。

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<コメント:魚屋>

これが、いわゆる反対派の過激組です

mixiのコミュニティでも、
いくつもの一方的な波乱を巻き起こしています

昔、「キミも(過激組へ)入るかね?」と問われましたが
丁重に話題を変えました
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<コメント:高木>

MIXIでも探してみます。
いまいち真意が測れないので・・・

検定作成、頑張ってください!


posted by 編集長/魚屋(うおや) at 00:23| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎根拠のない邪推一覧 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

「ご飯」と「器」と「食卓」の理論

<ソース>鞆の浦から世界の津々浦々へ/2008/7/16(水) 午後 9:28
http://blogs.yahoo.co.jp/himalayadesign/13047891.html

いろは丸展示館、保命酒浜大雁木
いろは丸展示館、保命酒浜大雁木 posted by (C)鳶眼

<本題>
鞆の浦検定は、埋立架橋計画に対し
賛成も反対も唱えません
そこに住む人々が「幸せ」であるなら
どちらでも構いません

現地、鞆の浦で賛成している人・反対している人
どちらも正義で、どちらも間違っていない
町民を分つこの問題が早く解決してくれれば・・・
と願っております

「ご飯」と「器」と「食卓」の理論です
ご飯=そこに住む人々含む、その人たちの幸せ
器=景観を含む町
食卓=観光業を含む、その町の持つ素晴らしさ

器が少々欠けていても、おいしいご飯があれば
楽しい食卓に違いない

という理論から
まず、ご飯である「そこに住む人々含むその人たちの幸せ」
を最優先し、冷静な対話を持って
譲り合いながら、分かれた人々が、またひとつになれるキッカケとしての
第一段階が鞆の浦検定です

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<高木洋一郎さんコメント:以下「高木」で表示>

反対する気はありませんが、その例えなら、鞆の器が素晴らしすぎるのだと思います。
他人が立ち寄りたくなる大きな要素に、他にどこにもない鞆の器があって、食卓全体の根幹をなしてる気がします。
この古民具のような器がどれくらい素晴らしいものかが地元の人が理解できてないのと、実際の生活で不便がある、というハザマの問題なんではないかと認識してます。
うちの近所の琴平でも同じ問題があり、観光産業と地元の地主の快適さとの戦いではないでしょうか。

個人的には、100円ショップで買ったような中国産の器だらけになってしまった日本において、世界にも誇れる器を持ってる町なので、絶対守って欲しいです。中四国の強い財産になります。
宮崎駿や文化人をひきつける、文化が鞆には残っており、それが視覚的に表れた器は大事にすべきだと思います。

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<魚屋コメント:以下「魚屋」で表示>

鞆の「器」がすばらしすぎる
ということは

このたとえでいうならば
「ごはん」と「器」と「食卓」のバランスが悪い
ということでしょうか?

器と食卓だけがフィーチャーされ

それを今まで守ってきた住民、つまりは「ご飯」をないがしろにしてはいないでしょうか?
昨日の報道で、コメンテーターはこう言ってました
「そこに住む人は、その価値がどんなものかわかっていない」
というふうなこと・・・

そんなことはありません
誰もがわかっています
しかし、先のことは誰もわかりません
橋が架かり、浜が埋め立てられても
住民はそこに住まなければならないのです
賛成している人・反対している人
そこに住む人たちは、責任を持って決断しております
それに対して、双方にリスペクトしてください

すれ違う車が危険ならば
なぜ信号を建てないのか?
25年前からその県道で起こった事故の数を数字で提示し
検証しないのか?
週末だけパーク&ライドという方法をなぜとらないのか?

2つの選択肢+α(山側トンネル案)しか選べないのか?
山を掘れば、水脈が変わり、さらなる問題が起こることを
なぜ危惧しないのか?

このいくつもの問題を、2つだけの争点に執着させ
それですべて解決する
と考えるのが一番危険だと思います



今もJ-WAVEで鞆のことを言っていました


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<高木>

おっしゃる通りなんですが、まだ若干バイアスがかかっています。

�住民は器の素晴らしさを十分理解している。
これは一度、外に出たり、「ずっと住んでいて、これが当たり前」という視点をはずしてから、一気に見えてくるものなので(体験的に)、程度の差は皆違うけれど、相対的に外の観光客の方が器の重要性には気付きやすいと思います。

わかりやすい住民利益だけ見て、「責任を持って決断している」というのはリスペクトできないです。

器のすごさについて全ての人が同じマインドマップを描くことは不可能ではありますが。
できるだけ同じ情報持って議論しないと。


自分もそっくりそのまま保存すべきとは思わないけれど、全くなしか架橋か、という二元論は問題だと思います。

ちなみに、「通過交通」の車やトラックが入ると、想像以上の悲劇が訪れます。うちの近所も騒音、ゴミ、事故、圧迫と体験しないと味わえない苛立ちがあります。「ずっと住まないといけない」となると悲劇が続くので、影響を十分に考慮しないといけないと思います。

自分の住む香川県は、自民王国で、道路舗装率99%の全国一位、事故率も全国上位、犯罪率も急上昇、お遍路さんに「ゴミだらけ」と言われ「道路わきゴミマップ」を作るような所ですが、全国の田舎は同じような状況にあると思います。うどん巡りに便利かも知れませんが、観光の核がないため、住民も観光客も見慣れた灰色の道路を走るはめになります。まだ、高松の都心が元気だった昔の方がコンパクトに観光できてよかったんではないかと思います。今は郊外の道路沿いに分散して、観光客数もずっと微減が続いています。

現場の検証や予想を延々とやるより、各地の現状も考慮してみてほしいと思います。

�日本の前提として、「そこの土地はその住民のもの」というのがあると思います。多民族と都市でできた欧米と、単一民族・集落でできた日本の違いで、東京やアメリカの新卒社員は「働きたい都市(東京は街)」で仕事や住居決めたりする「足による投票」がある種されているけれど、日本は代々住んできた田舎の意識があって、それでも、この市場経済下の状況では、よりよい生活や賃金のために都会に移る人が多いのが現状です。

簡単に言うと、「鞆が不便で嫌なら、出て行けばいい」「そのよさをわかってる移住希望者はたくさんいる」と思いますが、そこは延々と歴史を持つ鞆なので、住民も京都ばりの執着があるんではと思います。
京都も目先の利益を狙って町並みを壊して、外国人ガッカリ観光地の名所になって東京などに客を奪われていますが、最近になって規制の動きが出てきたり、ようやくその価値に気付いた感があります。
やや強引に言えば、「鞆の人がその価値を見誤って、オラがムラ意識でこれまでの日本史に残る歴史を現代の判断で潰そうとしているなら、外からその歪みを直してあげないといけない」に近い感覚があります。

田中角栄時代から続く、「自分のムラに道路や工場やハコモノ施設を」という均衡ある発展思想が日本のオラがムラ意識と混じってできた感情なので、転換するのが容易ではないです。

「地元からみた住民のための計画」と「外から客観的に見た町の一番いい状態」が食い違うのは、根本の思想が「オラがムラ意識」と「いい街に住みたい・都市リスペクト型意識」の違いにあるんではないかと思います。長期的に見ると、後者の方が孫の代にもいい状態で残る。
この「いい状態」にもいろいろ議論がありそうですが、二つだけに絞らないで、根本を残して細部を現代的にする、ロンドンやパリのごときまちづくりがいいと思います。
でかい道路だけ作る、という計画は一番に消えないといけない乱暴なものでしょう。

アレックス・カー犬と鬼―知られざる日本の肖像

例えば、これは読んでないと、景観の利益や都市の文化については共通の理解が取れないです。
どっちの住民も読むべきです。

逆に、架橋反対派住民も一番困ってる人や場所について周ったり体験したりといったことが必要だと思います。


日東第一景勝
日東第一景勝 posted by (C)鳶眼


◎文中紹介書籍

犬と鬼―知られざる日本の肖像

つづきを読む(長いです)
posted by 編集長/魚屋(うおや) at 23:31| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎「観光」をもう一度考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

大悲山慈徳院



【大悲山慈徳院】

慶長6年(1602)、福島正則を大檀越として松雪得松禅師が開山すると伝えられる。
その芸備藩主の福島正則は、キリシタンに対して友好的であり、妻子は洗礼を受けたと言われる。
海駅であった鞆には、そうした藩主の中でキリシタン文化が広まった。
元禄3年(1690)の文書には
「備後国沼隈郡鞆商売人切支丹宗信次女本人・・・旦那寺同所禅宗慈徳院ニ而土葬ニ取置・・・」
『芸備キリシタン史料』とあり、慈徳院とキリシタンの関係は深かったのである。
こうした新しい文化、宗教を受容したのが港町鞆の特徴の一つである。
境内には、薬師堂があり、宗派を問わない信者がある。
現在は京都・妙心寺派に属する。

<詳細>Discovery! 鞆の浦/大悲山慈徳院


posted by 編集長/魚屋(うおや) at 23:38| 広島 | Comment(0) | TrackBack(0) | ◎鞆古寺めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

淀媛神社(淀姫神社)



【淀姫(よどひめ)神社】

「神功皇后西国へ下向の際、鞆の浦に御寄泊になり、海神大綿津見命を祀られ後還都の際、御妹君淀媛命を此の地にとどめ祭主として奉仕せしめられた渡守神社即ち沼名前神社の起因なり。
淀媛命は玉依媛又虚空津媛命とも申される。数年後、此の地を去られたが、後世その徳をしのび氏神として奉斎、現在に至っている。」
福山市鞆町平(ひら)に鎮座

神功皇后が三韓征伐のため西国下向し、鞆の浦の地に寄泊。帰路も当地に寄泊し、携帯していた「鞆」を奉納。大綿津見命を祀った際に、妹君の淀媛命を祭神として奉任。その神社が沼名前神社(渡守神社)の起源。
数年後に淀姫命は鞆の浦を去ったが、いつのころか当地に氏神として奉斎し、鞆の浦湾の入口の明神山の上に鎮座する護り神として現在に至る。
現在の社殿は大正2〜3年に建立。平成13年に修復。


鞆港の常夜灯から右手にある岬の突端、小高い山頂(明神山)に社殿が見える。
沼名前神社の境外社に属し、神社誌への記載はなく、古来、平地区の産土神(うぶすなかみ)として祀られてきた。拝殿前には神輿の飾り場があり、旧暦7月7日(現在は8月第1土曜日)は、俗に「だんご祭り」と呼ばれる淀姫神社の祭りで賑わい、「平の投げ神輿」として有名である。


<詳細>Discovery! 鞆の浦/淀媛神社(淀姫神社)



posted by 編集長/魚屋(うおや) at 03:43| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎神々の足跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鞆の浦・看板特集その1



鞆の浦に点在する看板特集です
スライドショーは東京品川駅・新幹線ホームの時刻表から福山駅11番のりば→鞆の浦の看板特集となっております
posted by 編集長/魚屋(うおや) at 01:27| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎潮待ちコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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